ルードウィヒ・B~ベートーヴェン歓喜の歌~
ルードウィヒ・B千秋楽おめでとうございました。
備忘録的に感想を書いていきたいと思います。
運がよく初日に入る事が出来、二階席の後ろの方からぼんやりと眺めた印象は、「やっぱりこの演出家と感性合わないな……」でした。(無意味な暗転多過ぎィ!とかその他色々あります)
それでもファウストの時よりは格段に、良くなっているんだけど、でも「じゃあ何故ファウストの時もそうしなかったのか」って考え始めてしまうやつです。脚本の話なんですけど、ルードウィヒという名前に生まれたから、フランツに暴行されて耳が聞こえなくなった……ってフランツのキャラとしての魅力が損なわれる気がしなくもないです。(悪役の悪に走る理由がお粗末すぎるからこそ、終盤壮大な手のひら返しが出来るような気もしなくもないんですけど)
今回はフランツという切り口から考察していきたいと思っています。
前回のファウスト同様、手塚作品のテーマは魂の救済である。と先に宣言しておきます。
フランツという人間は結局彼は悪人に成り切れなかったんです。もっと愛が欲しいと切実に望んだ時期に母親を見殺しにされ、父は決して自分の事が嫌いで彼に音楽家という道を諦めさせたわけではなく、彼の生活が安定して幸福なものであるように望んだだけということも、フランツ自身は分かっていたのに、長く続いた反抗期ともいうべきか、それとも愛に気づくまでに時間が掛かり過ぎたのか……(憎きルードウィヒという名前の男が彼の望むものすべてを手に入れたように見えてその視界に霧がかかっていたような)
きっとフランツが不器用な父親の愛に気がついたのは、戦災孤児のユリシーズが初めて自分に笑いかけてくれた時なんじゃないかな。「おとうさま」ってたどたどしい口調で呼ばれた時、今までの行動に対する後悔が津波のように押し寄せたんじゃないかな。
劇中ルードウィヒが「フランツも僕に救ってほしかったのかもしれない!」という台詞を言う場面は正しく真理で、腕に抱いたユリシーズの笑みが長く凍っていたフランツの愛されたいという気持ちを溶かし、それが表面に現れた結果が「ユリシーズのために曲を書いてくれ」という言葉につながるような。
今まで負の感情しか表に出してこなかったフランツの精一杯のSOSが「ユリシーズのための曲を書いてくれ」という表現で、ルードウィヒはそれに気付くのに少しだけ時間が掛ってしまったんだけど、マリアという存在に助けられ、フランツの真意をうっすらくみ取ったのではないかと。
結果的にフランツを救うために(貴族であるけど戦災孤児である)ユリシーズに向けて書かれた曲は「民衆のための音楽」にあたるんだろうけど、当のルードウィヒはそれを知らないので、終盤、フランツがユリシーズに「ルードウィヒの手伝いをしろ」と託すことに。
フランツはきっとルードウィヒ自身よりルードウィヒを理解出来るようになったんじゃないかな、それは親として子どもを育てるうちに、ルードウィヒの書いた曲を聞くうちに、きっとルードウィヒがユリシーズを見た時に、自分がどのようにユリシーズを育ててきたのかなんて理解してくれるだろうって考えていたから、ユリシーズを向かわせたんじゃなかろうか。(もちろん、神の啓示としてシラーの歓喜の歌までも音楽にしようとしたその才能が見通せるものがとても多いことに気付いたうえで)
ルードウィヒはユリシーズを始めて見た時に、「モーツァルト先生?」と声を掛けます。姿かたちは違うのになぜかモーツァルトが重なって見えるユリシーズ。それは、フランツが丁寧に愛を込めてユリシーズを育てたからであるとルードウィヒは話をきいて納得したのではないか。少し変人だけど、愛を歌い、才能に生きるモーツァルトのような美しい魂の人間に育ったユリシーズを見て、フランツが昔のままでなく、人間として人間らしく生きていたのではないかと感じとったのではないか。
自分のことを「先生!」と呼ぶ、かつて自分を苦しめた人間の息子が、柔らかく懐かしい雰囲気を持っていて、彼に「民衆のための音楽」を作ってほしいと依頼されて、ルードウィヒは耳が聞こえなくなってから長く閉ざされていた神への道――神の啓示を受けるための道にまた光が差し込んだように見えたのではないだろうか。そして、神の啓示は「民衆のための音楽を作る事は、不器用ながらに愛してくれた父・一番に応援してくれた母・人を愛することを教えてくれたエレオノーレ・音楽の楽しさをまた教えてくれたモーツァルト・常に支えてくれたマリア・そして愛されたいと、その魂の救済を願うフランツの、すべての人々への感謝へ繋がること」を示してくれたんじゃないだろうか。
歓喜の歌は、ルードウィヒに関わったすべての人びとへ須らく降り注ぐ神の愛であり、それによって人々は魂を救われたのではないか。
フランツとルードウィヒは一つの分岐点で別れてしまった枝のような、魂の深いところでは同質のもののように描かれていて、辿る道筋を少し変えてしまえば互いが互いになりえそうな雰囲気であると感じました。
同質の魂の叫びは、同質の魂を持つものにしか感じ取れないのではないか、だからこそその魂の救済は、ルードウィヒの手によってでしか為し得なかったのではないかという所に結論を持っていきたいと思っています。
戸塚祥太とメンバーに関する一考察
そんな大げさな事はなにもないのですが、メンバーと戸塚くんの関係性で少しだけ考察したことをまとめておきます。
とつごは、互いにまだ理想の五関くん・とっつーと現実の狭間に居る気がする。戸塚さんからしたら五関さんは何時までたっても「俺の理想の五関くん、ダンディーで格好良い五関くん」だし、五関さんからしたら「とっつーは何時までたってもあの頃の可愛い、やんちゃなとっつーだね」って思ってる。
— ygl (@vo1d1d) 2014, 11月 13
でも、自分が見始めてからの短い期間でも二人が理想と現実の摺合せを上手にしてその間にあった少しの溝を埋めてきてるなあって印象。まいったネ今夜の絶妙にほんの少しだけズレるダンスとそれに反して、歌声が柔らかく重なるところとかに如実に現れているな、って思ってます。
— ygl (@vo1d1d) 2014, 11月 13
戸塚田についてはいつも1つ考えていることがあって、塚田くんって結構裕福というか中の上な感じのお家の長男で、ふとした瞬間に見せる育ちの良さがあると思う。それに対して、戸塚くんはダヴィンチでも語られている通りのやんちゃな家族の次男坊じゃないですか。
— ygl (@vo1d1d) 2014, 11月 13
そういう二人が思春期に同じグループにいて、多分互いが互いの家庭にある種の憧憬を抱いて生きてきたんじゃないかな、と思っていて。互いに振り回し合ってるのもそういうことにきちんと折り合いつけて、対等な仲間として認め合った結果なんだろうなーって考えてます。
— ygl (@vo1d1d) 2014, 11月 13
正直、塚田くんは真夏の太陽のように見せかけた暗闇だし、戸塚くんは月明かりを手探りで歩いてるように見せて冬の太陽のような人だし、根っこの部分も見せている部分も真逆な二人がG内で唯一の同い年っていうもうどこから突っ込んでいいのか分からない感じが、面白いのかなって思います。
— ygl (@vo1d1d) 2014, 11月 13
ふみとつは正直一番熱いよね。多分互いの理解度が凄い。河五・戸塚田は理解しようとして理解していったシンメではないと思うんだけど、ふみとつはグループの中での自分たちの役割をしっかり理解した上で互いをしっかりと理解することが不可欠だと感じてきちんと関係を築きあげていったんだろうなーって
— ygl (@vo1d1d) 2014, 11月 13
多分ファンが考えているよりも、連絡・話し合いをしていそうで、互いにしか分からない二人がそこには存在しているんだろうなって思っています。方向性は違うけど、本当にこの世の美を凝縮したような二人が手を取り合っているうちはえびは安泰だなって感じてます。美しさって大事。
— ygl (@vo1d1d) 2014, 11月 13
はしとつは、理想のお兄ちゃんと理想の弟なんだけど、はっしちゃんがにこにこしてお口むにゅむにゅしている顔が大好きなので、戸塚くんがはっしちゃんにもっとかまってあげればいいと思ってます。個人的にははっしちゃんの精神年齢が戸塚くんに追いつき、追い越す日も近いなと感じてます。
— ygl (@vo1d1d) 2014, 11月 13
きっとすぐはっしちゃんは大人になってしまうけど、何時までたっても戸塚くんが求めれば理想の弟としてそこに存在してくれるんじゃないかな、って。はっしちゃんが30代半ば位になったときのはしとつが密かに楽しみです。「も~とっつーはいつもそう!でもそこがいいところ!」くらいの感じになってて
— ygl (@vo1d1d) 2014, 11月 13
戸塚祥太は美しい男で、性格も中々熱くて良い感じだけど、たまにファイティン^_^な事案抱えて持ってきては、ファンを落とし穴に落として、その上からたくさんの愛とときめきをばら撒いて、ちゃんと釣った魚には餌を与えるタイプなのがとても良いです。
— ygl (@vo1d1d) 2014, 11月 13
ジョブチェンジ
今回は自担が塚田くんになるまでについて少し書いていこうと思っています。
私が塚田くんの存在を知ったのはデビュー後でした。若手俳優関連の友人の一人が「キスマイが好きなんだよね」と言って、様々な映像を見せてもらったときに気になったのがA.B.C-Zだったのです。しかもその時は全然塚田くんのことは目に入っておらず「応援するなら河合くんか五関さん」と思っていました。そして当時B.A.Dだった桐山くんもかなり好みの顔だったので、その時点で担当候補は河合・五関・桐山の三人に絞られていました。
しかし、人生何があるか分からないものです。ある日の少年収、偶然手に入った観覧のチャンス。よく分からぬまま何となく「河合」のうちわを作りNHKホールへ向かいました。そこで出会ってしまったのです。今まで全く興味の無かった金髪のお兄さんのにこにこの笑顔に、しなやかな跳躍、指先まで神経の通ったダンス、ふとした瞬間に見せる雄の顔。転げ落ちるみたいに加速して!まさに、Crazy Accel!塚田くんは、まるで、ダイソンの掃除機のように、圧倒的な吸引力の前にひれ伏すしかありませんでした。あんなに美しい生き物は見たことが無かったんです。
その日から、塚田くん…塚田くん…と呟いてました、病気です。その時点で出てるDVDをすべて買いました、でも塚田くんに掛けられた魔法は解けないです、塚田くんのお話しているとき、踊っているとき、アクロバットをするとき、全てがとても美しく見える魔法にかけられてしまいました。時期は丁度サマリーが行われている頃でした。2回目に見た生の塚田くんに関しては、緊張し過ぎて何も覚えてないです。ただただ、5人のサークルフライングのシーンで何故だか分からないけど大号泣し(それまでのサマリーに関して事前知識なし)(5人がずっとずっと見上げてた、フライングを感じ取ったのか……)最後のラブピでまた大号泣。始まりから終わりまで、あの地下に伸びるホールで行われたと思えないほど、空が見える、美しい公演だったんです。この時点で箱推し気味になりました。えびはまるっと可愛くてカッコ良くて美しい!と、この人たちの未来が見てみたい!と強く願うようになりました。
この頃、大学院に入るために浪人生していて結構精神的にきてたのかもしれないんですけど、とにかく精神の安寧をえびに求めたのだと思います。10月には無事に院試に受かりました。(今考えると受験の直前にサマリー観に行ったのもかなりの賭けだったのかもしれません)
次の現場はJWでした。ギリギリまで行くか行かないかうだうだしていたのですが、行って正解でした。塚リカちゃんというセカンドインパクトにやられました。この時点で、私は諦めたのです(というか認めたのです)Twitterのプロフィールに「塚田くんのファンです」と書きました。それまでテニミュと実況ばかりTLに投げていたのが、えびに関する話をしだしました。2012年年末〜2013年年始にかけての期間で、「自担は塚田くんです」という看板を背負い、えびを全力で応援していきます!という姿勢をとることを認めたのです。ここから私の塚田担としての生活が始まりました。担当を名乗るということはジャニオタの中で「私はこのカードを所持している、こういう者です」という事を示すものであると思っています。このカードはチケットのやりとりや、Twitter上で交流を行う上で重要なものだと考えたわけです。そのカードを所持することはジャニオタド新規の私には荷が重いかと考えていましたが、そのカードを示さねばならない場面もたくさんあると感じました。
この辺りで親しい友人たちに「ジャニオタにジョブチェンジしたったwww」とふざけて話していたのですが、まさかここまで本格的なジョブチェンジだとは誰も思わなかったんじゃないですかね。自分だって思わなかったです。
とにかくえびに出会って新しい世界が広がりましたし、塚田くんのおかげで考察すべきことはどんどん増え毎日飽きないです。
沼は深い②
次にハマった沼は図ったかのように10年間だけの、青春の大部分の情熱を注いだものだった。
メトロノームというバンドをご存知だろうか?
ヴィジュアル系というジャンルの中に存在し、テクノポップな電子音とロックの融合を果たしたシーンの中ではかなり革新的なバンドだったと私は思っている。
元々クラフトワークやYMO、ゲルニカなどその手の音楽を小さなころから聞いていた(完璧に両親のせいである)私にとってその音楽はすぐに耳に馴染み、離すことの出来ない存在になっていた。
母親とその友達が当時小さなライブハウスへ行くのにハマっていた時期に見たのがメトロノームとの出会いなのだが、その後初めてのCDを手に入れるまでに2年近く掛った。幾度となくメンバーチェンジが繰り返され、バンドとして安定してCDを出したのが2001年の夏の事だった。生で彼らを見ることができない代わりに何度も何度もCDを聞いていたのだが、ついに中学生になり都内のライブなら行ってきてもいいわよと母親から許可を貰い彼らのライブに通い詰める日々を送ることになるのである。
ライブのチケット代は実家の神社の手伝いをして工面し、月に2~3回のライブを心待ちにしていた中学生時代。この頃インターネットがもっと発達していれば「ガキが来てんじゃねえよ」とか書かれていただろうが、ようやく携帯電話の液晶がカラーになった時代だったので、周りのお姉さんたちにとても優しくしてもらったことを覚えている。周りの方々がとても優しく様々な事を教えてくれたので、所謂黒歴史を作ることもなく健全にバンギャとしての人生を歩んでいた。この時の経験が無ければ、今痛いジャニオタおばさんになっていたかもしれない……と思うくらいには、社会勉強になったのだ。
そして、時は過ぎ高校生になった私はいよいよ合法的にアルバイトが出来るので、必死になり高時給のアルバイトを探した。アルバイトをしてはライブに通うその繰り返しだった。この頃からだろうか、好きなバンドも増えあれもこれも手を出して、急激に私の世界は広がっていった。それとともに世界が1つまた1つ消えていく(ヴィジュアル系バンドというものは解散活休メンバーチェンジの多さも特徴)2007年にメトロノームもドラムのユウイチローが脱退し1つの区切りを迎えたように思われたが、その年に新たなメンバーのシンタローが加入したことにより、音に柔らかさを兼ね備えた素敵なバンドになっていった。
2008年は大学に入学し通学時間の増加・バイトも増やし・敬愛する祖父の死去という私生活が趣味の時間を圧迫するような、息苦しい一年だった。
この頃は「メトはそこそこなところで長く続くんじゃないかな」なんて思っていて、必死にライブに通わなくなっていた。祖父の入退院、葬式、遺産相続などの手続きは母と私で行っていたので全く余裕が無かった。2008年の12月に祖父が亡くなったので、諸々の手続きが終わったのは2009年の1月も末の頃だった。
2009年2月10日、メトロノームは5月31日渋谷公会堂でのライブをもって活動を休止するとの旨のお知らせを受け取った。
Please Push Pause(通称PPPツアー)と名付けられたそのワンマンツアー、去年行けなかったぶん今年はメトにたくさん行こうと考えていた私にとって、これを逃したらこの人達が舞台上で笑っている姿なんてもう見られないかもしれない、と考え、かなり無理なスケジュールで遠征を連発し、悔いの無いように、その姿を目に焼き付けた。
そして2009年5月31日この10年間わたしの青春のほとんどを捧げたバンドは表舞台から消えてしまった。
アンコールを4回やって、笑顔でステージから捌けていった、お客さんも皆笑顔だった。この日、一人の私が死んで新しい私が生まれること無く死んで、心が乾いて満たされなくて、藻掻いて(ゾンビモードで生きていくことになりました)
ゾンビモードの呪いから解き放たれて、ちゃんと生きていくのは次回のブログで。
エリザベート(2014年10月22日公演)
花組エリザベートみてきました。
2009年ぶりの宝塚版エリザベートは、贔屓の組である花組の新トップスター明日海りおのお披露目公演でもありました。
2002年の花組のエリザベートが大好きで何度も何度も見てたので、凄く楽しみにしてました。自分の贔屓だった蘭寿とむさんが退団してしまったので、今の花組を見るのツラいかな……とか思ってましたが全然辛くなかったです。寧ろ目覚めた(花男達の格好良さに)
何アレめっちゃくちゃかっこいんですけどーーーー!!!!!!!(何度も生で見ているはずなのに本当に蘭寿さんしか見えてなかったのかも)
明日海さんはそこまで身長高い方ではないのですが、トート閣下にふさわしい美しく怪しい雰囲気で、まさに黄泉の帝王。
今公演で退団予定の娘役トップのらんちゃんは、今までより歌も上手になってて(何故今までそれを出さなかったと突っ込みたい気持ちで一杯)、普段はオカメインコみたいなお顔なのに、今回は花總さんのエリザベートみたいな雰囲気出してきてて凄く演技も良かったし。
北翔さんのフランツの歌のウマさや、包容力のすばらしさ。
芹香斗亜さんのルドルフはスタイルが良くて非常にノーブルかつ繊細で美しく、桜一花さんのゾフィーは底のしれない怖さが伴っていて、なるほど「泣けるエリザベート」の前評判は間違いではないという印象を受けました。
突出した何かがあった方が舞台として印象に残るのかもしれないけど、今回のエリザベートは全てが万遍なく合格点で、優等生な感じでした。
泣けるエリザベートと言われるのは、やはり歌と芝居のバランスが絶妙でどちらにも偏りが無いからこそ、フィナーレへ向かって感情が揺さぶられていくからだなと。
もう一回くらい見たいんですけど、チケット難……!
沼は深い①
先日話題になった羊飼いの男性が言っていた「泥沼がここまで深いとは知らずに通ろうとしてはまってしまった」という言葉は、思わず顔を覆いたくなるくらいに当てはまる言葉だと思う。
現実の沼だったら抜けられるかも知れないが、自分がハマってきた沼は主に趣味の話であり、抜けることなんて容易ではない。だって一度好きになったものを嫌いになることなんて難しいし、フッと熱が冷めて思い出の引き出しの中に収納していく形をとるだけなのだから。
最初の泥沼はスター・ウォーズという極々一般大衆向けの洋画だった。
その映画に出てきた不思議な老人オビ=ワン・ケノービという人間の最期に幼い私は雷に打たれたような衝撃を受けてしまった。
美しいブルーの瞳に、実は笑っていないその笑顔、優しげな声が主人公を導く。
その人はあっという間に物語の舞台から姿を消してしまった。
この人物が居なければ物語の登場人物の人生を考察していく作業を好きにならなかったのではないか、それほどまでにオビ=ワン・ケノービの人生は旧三部作において謎に満ちていた。
何となく旧三部作を見た後に、オビ=ワンは昔ルークの父親とジェダイの仲間であったが何らかの理由でルークの父親がフォースの暗黒面に落ち、関係を断った。そして何らかの事情でルークの成長をタトゥイーンで見守るが、フォースという特殊な力を操ることの出来るオビ=ワンはルークを除くタトゥイーンの人々からは疎まれていた。という推測くらいは出来るのだが、それより深くはどうしたって想像出来ない、物語の中ではそこまでしか語られないのだから。
しかし、1999年の夏にスター・ウォーズエピソード1ファントム・メナスが公開されたことによりオビ=ワン・ケノービという人間の生涯の多くが明かされることになった。
その後2002年、2005年と続編が公開され、新三部作は悲しい結末をもって終了した。
新三部作こそ私が飛び込んでしまった泥沼だった。
ちょうどその頃世間ではハリー・ポッターシリーズやロード・オブ・ザ・リングシリーズなどファンタジー系の洋画が大流行しており、それらを用いたファンアートも勿論大流行していた。奇しくもその波はスター・ウォーズにも例外なく押し寄せ、その界隈ではあっという間にそのようなファンアートが増えていった。ハリー・ポッターが比較的子供の多いジャンル(児童文学なので当然)だったが、スター・ウォーズは圧倒的に大人の多いジャンルだった。私は寝る間を惜しんで様々なサイトを巡りスター・ウォーズの小説を読み漁った。はっきり言って公式(?)のスピンオフ小説なんかより余程よく考察され緻密に話の書かれた小説の多いジャンルだった。同時期にテニスの王子様にもハマっていたがそちらはキャラ改変とテンプレネタに溢れた(それでも面白い)ジャンルで携帯小説とかが中心の短いものが多かったように感じられる。
とにかくスターウォーズのひとたちの凄い所は膨大な資料(かなり分厚いガイドブックや多くのスピンオフ小説等)を元に緻密にスターウォーズの世界観を作り上げ決してただのほもではなくキャラクターの人生を描いていたところである。良質なファンアートを求めて英語のサイトを夜中に読み耽るなんて経験はこの先無い。
その沼は大きく深く抜けることは出来なかった。いつだってこの時の経験がその後の私の創作などの活動に大きく影響を与えている。私はどのジャンルにいってもキャラクターたちの人生を考察し続けた、その作品の世界観に苦しめられた、いつだって、ひとりとして幸せな最期を迎えさせてあげられなかった。
最初の人であるオビ=ワン・ケノービはその人生の3分の1をあの砂の惑星で、救ってあげられなかった弟子と、新たな希望であるその息子への慈しみと嫉妬の間で常に心をその砂嵐で傷つけながら生きて、かつての弟子に斬られこの世を去ったのだから、彼が幸せになってくれない限り他の誰も幸せになれないのだ。
フォースの霊体化を果たしたオビ=ワンだが長く冥界とこの世の狭間に居ることは出来ないと言って割りとすぐに消滅してしまうので、そのタイミングで消えてしまうのか?と絶望した。
きっと今だってこの泥沼から抜けだせてなんかいないのだ。少し時間を見つけたらすぐにDVDを見てしまうし、時折思い出したかのようにオビ=ワンについて考察してしまうのだから。
はじめました
文字を書きたい衝動に駆られる時ってあるよね。
例えば素晴らしいものを見た時、
例えば深く深く考えている時、
例えば……
というわけでブログをはじめました。
実際は初めてブログを書くわけではないのです。
ブログという媒体がインターネット上に現れ、私も幾度となくジャンルが変わるたびに新しいブログを開設しそこで日々思うことを綴る、ということを経験しています。
何故人は新しいモノにハマると心機一転様々なものを新しくしたくなるのでしょうか?
今まではバンギャルだった時のブログに書いてきました。
でもやはり違うのです。趣味が変わるといままでの読者は置いていかれるのではないか(基本誰も読んでいないのに)そう思ってしまうのです。
理由なんてさしてないのです。
とにかくブログはじめました。