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vacío

からっぽな日常に色をつける

沼は深い①

 

先日話題になった羊飼いの男性が言っていた「泥沼がここまで深いとは知らずに通ろうとしてはまってしまった」という言葉は、思わず顔を覆いたくなるくらいに当てはまる言葉だと思う。

現実の沼だったら抜けられるかも知れないが、自分がハマってきた沼は主に趣味の話であり、抜けることなんて容易ではない。だって一度好きになったものを嫌いになることなんて難しいし、フッと熱が冷めて思い出の引き出しの中に収納していく形をとるだけなのだから。

 

最初の泥沼はスター・ウォーズという極々一般大衆向けの洋画だった。

その映画に出てきた不思議な老人オビ=ワン・ケノービという人間の最期に幼い私は雷に打たれたような衝撃を受けてしまった。

美しいブルーの瞳に、実は笑っていないその笑顔、優しげな声が主人公を導く。

その人はあっという間に物語の舞台から姿を消してしまった。

この人物が居なければ物語の登場人物の人生を考察していく作業を好きにならなかったのではないか、それほどまでにオビ=ワン・ケノービの人生は旧三部作において謎に満ちていた。

何となく旧三部作を見た後に、オビ=ワンは昔ルークの父親とジェダイの仲間であったが何らかの理由でルークの父親がフォースの暗黒面に落ち、関係を断った。そして何らかの事情でルークの成長をタトゥイーンで見守るが、フォースという特殊な力を操ることの出来るオビ=ワンはルークを除くタトゥイーンの人々からは疎まれていた。という推測くらいは出来るのだが、それより深くはどうしたって想像出来ない、物語の中ではそこまでしか語られないのだから。

しかし、1999年の夏にスター・ウォーズエピソード1ファントム・メナスが公開されたことによりオビ=ワン・ケノービという人間の生涯の多くが明かされることになった。

その後2002年、2005年と続編が公開され、新三部作は悲しい結末をもって終了した。

新三部作こそ私が飛び込んでしまった泥沼だった。

 

ちょうどその頃世間ではハリー・ポッターシリーズやロード・オブ・ザ・リングシリーズなどファンタジー系の洋画が大流行しており、それらを用いたファンアートも勿論大流行していた。奇しくもその波はスター・ウォーズにも例外なく押し寄せ、その界隈ではあっという間にそのようなファンアートが増えていった。ハリー・ポッターが比較的子供の多いジャンル(児童文学なので当然)だったが、スター・ウォーズは圧倒的に大人の多いジャンルだった。私は寝る間を惜しんで様々なサイトを巡りスター・ウォーズの小説を読み漁った。はっきり言って公式(?)のスピンオフ小説なんかより余程よく考察され緻密に話の書かれた小説の多いジャンルだった。同時期にテニスの王子様にもハマっていたがそちらはキャラ改変とテンプレネタに溢れた(それでも面白い)ジャンルで携帯小説とかが中心の短いものが多かったように感じられる。

とにかくスターウォーズのひとたちの凄い所は膨大な資料(かなり分厚いガイドブックや多くのスピンオフ小説等)を元に緻密にスターウォーズの世界観を作り上げ決してただのほもではなくキャラクターの人生を描いていたところである。良質なファンアートを求めて英語のサイトを夜中に読み耽るなんて経験はこの先無い。

 

その沼は大きく深く抜けることは出来なかった。いつだってこの時の経験がその後の私の創作などの活動に大きく影響を与えている。私はどのジャンルにいってもキャラクターたちの人生を考察し続けた、その作品の世界観に苦しめられた、いつだって、ひとりとして幸せな最期を迎えさせてあげられなかった。

最初の人であるオビ=ワン・ケノービはその人生の3分の1をあの砂の惑星で、救ってあげられなかった弟子と、新たな希望であるその息子への慈しみと嫉妬の間で常に心をその砂嵐で傷つけながら生きて、かつての弟子に斬られこの世を去ったのだから、彼が幸せになってくれない限り他の誰も幸せになれないのだ。

フォースの霊体化を果たしたオビ=ワンだが長く冥界とこの世の狭間に居ることは出来ないと言って割りとすぐに消滅してしまうので、そのタイミングで消えてしまうのか?と絶望した。

 

きっと今だってこの泥沼から抜けだせてなんかいないのだ。少し時間を見つけたらすぐにDVDを見てしまうし、時折思い出したかのようにオビ=ワンについて考察してしまうのだから。